シナナキの日記(不定期)

sinanakiの活動拠点。twitterもやってます(出現頻度低いけど)

知らなければ良かったこと

特別ではない二日間

3月の中旬ごろ、1泊2日で大阪へ旅行に行った。

1日目の昼食がケンタッキーだったり、2日目の自由時間にはビックカメラsurface dialとgoogle home miniを購入したりと、2日間を通じて”大阪らしさ”など皆無だった旅行ではあったが、唯一といってもいい”らしさ”である海遊館見学について、自身のメモも兼ねて書いておこうと思う。

 

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なかなかに大きいエイ

普通に暮らしていると、人より大きい生物にはなかなか合わない。生物って大きいな。

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泳ぐペンギン。水中には餌もないのに何故泳ぐのか。

ようやく撮れた1枚。どうにもandroidはシャッターが遅い…

一眼レフほすぃ…

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尾を絡めているタツノオトシゴ

リア充爆発しろ。

 

他にもいろいろ…まあ、良かったです。(小並感)

 

いつも思っていたこと

 

水族館にしろ、動物園にしろ、私には異質な物に見えて仕方がない。

少なくとも私は、ああいうレジャー施設で楽しいと思えない偏屈な人間である。

それは動物が苦手とか人ごみが嫌いとかそういう理由ではもちろんない。

生物が生物を飼うという状況が、どうにも気持ち悪い。

もちろん、かく言う私もその恩恵を受けている者ではある。「飼うということに対して嫌悪感を示すならば、飼育された家畜の肉を食うなよ」などという次元の異なる議論をしたいのではない。

基本的には弱肉強食。人間は知恵をもってして安定的に種を存続させる方法として飼育を編み出したに過ぎない。そのことに関しては、嫌悪感を抱かない。

刈り取った命にきちんと手を合わせて残さず食べきる。それが礼儀だと思う。

しかし、飼育する動物を食わず、それで富を稼ごうとする思惑には嫌悪せざるを得ない。

あちら側を見るこちらからの好奇に満ちた目、目、目。

決して、動物がかわいそうだとか、自然に返すべきだとか、そういう事を言いたいのではないことを理解していただきたい。

いや、もっとも嫌悪感を抱いているのは、その思惑に目をつむり、かわいいもの見たさに料金を払うことを受け入れられる人間の慣性に対してなのかもしれない。

私は、他の命を食いもせずにおもちゃの様に生かしておくことを良しとできる人間の思考に対して、どうしようもないほどに気味の悪さを感じる。

これは、飼っているなら食え、というのではなく、食わないなら飼うな、ということだ。

 

もちろん、食うに限った話ではないのだが、それ以上は今回の旅行で見たことと離れてしまうし、結局は私がどのような感性を持っているか、どこまではOKでどこからがNGなのかという話になってくるので、このあたりで手を止めようと思う。

なににしても、旅行で得たことはまた何かしらの形で書き表そうと思う。